まとまらないハナシ

盆栽…というか『美』というモノ一般は、自らの存在を雄弁に語る『動的な美』と
受け手が注意を向けねばその良さが分からない『静的な美』に
分けられるような気がします。
焼き物で言えば伊万里や京焼は前者、一方後者は信楽など……でしょうか
(↑あまり自信ありません)

私は鉢をこさえる上で無意識のうちに後者を目指すようになったんですが、
その『侘び寂び』という精神の根底にあるのが禅宗だからか…近頃鉢のデザインという
モノを考えていると本当に禅問答をしているような気分に陥ってしまいます

大体の人は動物の子供を見るとちょっとは可愛いと感じるのではないでしょうか
(アマゾンの秘境の人々等が果たしてそう感じるのかはちょっと興味がありますが)

何故かは分からないが直感で可愛いと思う…それが多少文化的に形成された
感情反射だったとしても、動物の子供が持つ可愛さはある程度『根源的な可愛さ』と
呼んでも良いんじゃないかと思います(いささか論理が乱暴でしょうか)

じゃあそれと同じように根源的な美というのは…果たしてこの世に存在するんでしょうか
…分かりません。もしかしたら黄金率の長方形のような…?


茶道など『○○道』の基礎となった禅宗では、この世のあらゆる物事を排して排して
排して排して、排しきった所に真の存在があるというような事が
言われている…らしいです(難しすぎてよく分かりません)
また省略の美という事もよく言われます。

盆栽鉢の姿も出来るだけ無駄なモノを削っていけば…もしかしたら静的な美の境地に
近付けるのかも知れません


あ。でも盆栽鉢って植えられてナンボだから、何も植えない姿が一番美しいって鉢が
あったとしたらそれもしかしてある意味失敗なんじゃ…

ホントまとまりません。
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by 1000ray | 2010-11-15 22:11 | 雑記


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