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無欲な鉢

私は『用の美』、つまり道具としての使い勝手を追求していけば
自ずとそこに美が宿る…という考え方を盆栽鉢全般に当てはめるのはちょっと
無理が有るような気がしています

盆栽鉢の使いやすさって見た目に依る部分が大きいもんですから。
どういう鉢を使いやすいと感じるかは、正直人によって様々です

だから使い勝手を追求するにしてもどうしてもそこに主観が入ってしまいます

例えばこれが刃物なら…切れ味とか重さとか、そういう客観的な判断基準が
生まれるんですが…

だから結局、作り手としては『自分が使いやすいと思う鉢の形』を信じ
地道に鉢を作っていくしか無いのかなぁという気がしておるのです
(たまに使いにくいのを承知で変な鉢を作ったりもしますけれども!)

まぁそんな感じなんですが、それでも敢えて用の美という言葉に
ふさわしい鉢の形を一つ挙げるなら…

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恐らくはこういう鉢になるんじゃないかと…
フツーの切立鉢です…いや、これは正解には内縁の鉢ですが…

全く無駄の無い、ある意味とても「道具」に近い鉢だと思います
(楕円鉢も切立は無駄が無いように感じられますね)
清清しいまでの潔さです

こういう個性の挟みようの無い形の鉢をただ黙々と何百何千と作り続けられる人が
カッコいい、本当の鉢作家なんじゃないかと近頃思い始めている所です

この間東京から里帰りしていた知人(有名美大出身)とそういう話をしたんですが…
工芸というのは使いやすさを徹底させていくと、どんどん機械で作られた
大量生産品に近づいていくというヒドいジレンマを抱えています

誰だ、大量生産なんて概念を日本に持ち込んだのは!

そんな中にあって「それが何だ、自分は己の技術を使ってただ正確な形の物を
作るだけだ」という姿勢を貫ける人はやっぱり凄いですよ

私のように最初から個性に走るのは、ちょっと欲にまみれているというか
創作者として邪道ですね。

そうだ、この一年はこういう無色透明な鉢をただひたすら泣きながら作るという
修行のような日常を送ってみましょうか
作り手としてはもちろん、人間的にもグッと深みが出てくるかも知れません



すみません、無理です……orz
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by 1000ray | 2011-01-09 23:53 | 雑記


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